大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 平成2年(ワ)14669号 判決 1994年10月18日

原告

甲野一郎

原告

甲野花子

右両名訴訟代理人弁護士

藍谷邦雄

内藤隆

伊東良徳

被告

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

小林紀歳

古澤健太郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告らの請求

被告は、原告らそれぞれに対し、各金二八六一万四七七五円及びこれに対する平成二年一二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  前提となる事実

1  原告甲野一郎(以下「原告一郎」という。)は甲野二郎(以下「二郎」という。)の父、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は二郎の母である。二郎は、原告らの長男として昭和三四年一〇月二七日に出生し、平成二年二月二三日、乙川三郎(以下「乙川」という。)によって口腔内深部にティッシュペーパーを詰められ、窒息して死亡した。

乙川は、昭和五三年五月二九日、措置入院中のA病院において、入院中の他の患者を絞殺し、同年一二月、措置入院継続のまま被告開設のB病院(以下「被告病院」という。)に転院し、以後同病院D―40病棟(以下「本件病棟」という。)に入院していた者である。

被告は、<番地略>において精神科その他の診療科目を有する被告病院を開設・管理・運営し、その雇用する医師や看護職員らを医療業務に従事させている。被告病院は、明治一二年に設立されたC病院に端を発する都立精神病院であり、一三六八病床を有する。

2  二郎は、昭和五一年四月一七日、精神病院である都立D病院に入院し、一週間後に退院したが、同年六月四日、同病院に再入院した。その後、昭和五二年一一月一六日、民営のE病院に転院し、さらに、昭和五七年二月二五日、被告病院に転院した。二郎の病名は精神分裂病で、そのうちの破瓜型に属し、男子新入院保護病棟(閉鎖病棟)である本件病棟の保護室(隔離室)に入院した。その後、昭和五八年八月ころ、本件病棟の一般室である四〇五号室に移り、平成元年一二月二二日、四〇二号室に移った。

本件病棟は、主として精神症状の顕著な男子新入院患者及び他の民間ないし公立の精神病院や施設、警察、法務省関係機関等から転院・入院を依頼された処遇困難者(殺人歴のある精神障害者、他害行為の激しい患者、自傷行為の激しい患者及び薬物精神病患者等)を収容・治療している全国的に最も重篤な精神障害患者を受け入れている閉鎖病棟である。

3  二郎は、平成二年二月二三日午前九時ころから九時一五分ころまでの間に、同室の乙川に頸部を締められ、さらに、口腔内深部に多量のティッシュペーパーを塊状に挿入された。

右事件の発生は、同日午前一〇時一八分ころ被告病院の知るところとなり、被告病院は直ちに二郎を診察室に搬送して、口腔内のティッシュペーパーを除去した後アンビューバッグによる酸素投与と心マッサージを施すとともに昇圧剤、呼吸賦活剤を投与して蘇生術を実施した。しかし、二郎の瞳孔は散大し、血圧測定不能で自発呼吸が再開しないまま、同日午前一〇時三六分、同所において、気道閉塞による窒息死が確認された(以下、乙川による二郎の殺害を「本件事件」という。)。(以上の事実は、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨により認めることができる。)

二  原告らの主張

1  被告病院の過失に関する前提事実

二郎の主治医が丙田四郎医師となった平成元年六月一日以降、同医師を始めとする被告病院の医師及び看護者が原告らの申入れを無視し、入院者との対話及び症状観察を十分に行わず、独善的な態度を取るなどの処遇の悪化が顕著となり、原告らの再三にわたる処遇改善の申入れに対しても、治療内容の正当性を一方的に主張するのみで、何ら改善策を講じず、その結果として本件事件が発生した。

被告病院の処遇の悪化に関する具体的事例を列挙すると、次のとおりである。

(一) 面会及び外泊が原則として一か月一回に制限された。

(二) 面会の際、原告らは二郎の病室への入室が許されず、同人の日常生活を把握できなくなった。

(三) 二郎は、例えば平成元年七月一日から同年八月七日まで、三八日間の長期にわたり、何ら正当な理由もなく保護室に隔離されたが、この間、原告らとの面会が許されなかった。

(四) 原告らが二郎に電話をかけたとき、その取次ぎに難色を示すようになり、また、電話への応対を拒まれることも多くなった。

(五) 主治医との面談が一か月に一回(約一時間)に制限され、それも医師の都合を理由に変更されることも多くなった。

(六) 看護の職員がナースセンターに滞留して病棟を頻繁に巡回することがなくなった。看護職員がテレビに見入り、面会に訪れた原告らにもなかなか応対しないということが何度もあった。

(七) 看護の職員が原告らとの面談を拒み、また、二郎の動静に注意を欠くようになった。

(八) 二郎の体力が丙田医師担当後著しく低下した。二郎の死亡時の体重は四〇キログラムであり、これは丙田医師の「医療行為」によってもたらされたものである。

(九) 二郎の右肩関節の脱臼に適切な処置を怠るようになった。

2  事件発生時ないし事件発生直後に本件事件を発見しなかった過失

(一) 本件事件発生時に発見しなかった過失

本件事件の発生時は平成二年二月二三日午前九時一〇分前後であり、本件病棟に医師二名、看護士七名が在棟していた日勤帯、すなわち、病院側の在棟者が最も多い時期に発生したものである。

本件病棟では、当日午前八時三〇分から九時までの三〇分間の申し送りに引き続いて、午前九時からミーティングが行われていたが、その間、巡回者を置くことなく、病棟関係者が一室に集合し、十分な安全対策を怠った。

このように巡回者を置かないミーティングを行うこと自体過失があるものというべきであるが、仮にこのようなことが許されるとしても、その場合には、病棟内の異常発生の発見のため最大限の注意を払うべきところ、被告病院はこれを怠り、本件事件のために相当な物音がしたのに、これに気付かず、又は大したことがないと軽率に判断して対応しなかったものである。

(二) 本件事件発生直後に発見しなかった過失

本件事件発生直後の午前九時二〇分ころには丁山看護士が二郎の病室である四〇二号室の前を通過して室内を観察し、午前一〇時一〇分ころ戊沢看護士が同室の前を通過して室内を観察している。これらの看護士が通常の注意を払っていれば、少なくとも丁山看護士の通過時には、二郎は生きており、戊沢看護士の通過時にも蘇生可能であった可能性があり、救命できたと考えられる。ところが、右両名は、甚だしく注意を欠き、もしくは実際には室内を観察することなく通過し、二郎を発見しなかったものである。

(三) 長時間にわたり二郎の動静を把握しなかった過失

本件事件当日、被告病院は、午前七時四〇分から午前一〇時一八分までの間、すなわち、事件発生時刻を挟んで二時間三八分もの間、二郎の動静を把握していなかったものであり、これによって本件事件の発見の機会を失ったものであるから、この点にも過失がある。

3  予見可能であった本件事件を予見することなく、その防止策を講じなかった過失

(一) 本件病棟の特質と本件事件の予見可能性

本件病棟は処遇困難を来す患者を多く収容しており、同棟内では、常にトラブル発生の可能性がある。これに加え、被告病院では、概ね二年ないし三年に一回、入院者相互間の殺人事件、殺人未遂事件が発生しており、直近の事件から三年を経て本件事件が発生したものであるから、被告病院としては、本件のような事件の発生は十分予見可能ないし予見すべきであったといえる。

(二) 原告らの申入れと被告病院による無視

丙田医師が主治医となって以降被告病院の処遇が悪化したことは前記1記載のとおりであり、これに対して原告らが再三にわたって申入れをしたのに、被告病院は何ら改善策を講じなかった。

(三) 乙川の病態と本件事件の予見可能性

本件事件の加害者である乙川は、本件事件の前に二回の殺人の前歴を有する。被告病院は、乙川について、同人の前歴に留意して周到に症状経過と行動の観察を実施すべきだったし、これは本件病棟の看護態勢で十分に可能だった。

(四) 被告病院は、このように本件事件を予見可能であり、それによってその発生を防止することができたのに、これを怠ったものである。

4  二郎に対する保護、看護の過怠による過失

二郎は、前記1の(八)及び(九)記載のとおり、丙田医師が主治医となって以後の体力の低下及び右肩関節脱臼の処置の過怠により、要保護性と安全配慮が求められる状態にあったのに、被告病院は十分な保護、看護を怠ったものである。

5  被告病院の右過失ある行為は不法行為責任を生じさせるとともに、これらの行為は二郎と被告病院の間に診療契約の不履行を構成し、債務不履行責任も生じさせるものである。

6  原告らの損害

(一) 二郎の損害

(1) 逸失利益三四二二万九五五〇円

二郎は、被告病院を退院した後、原告一郎が経営する株式会社甲野企画で稼働することが予定されており、同人は通信制高校在学中であって少なくとも中学卒業程度の稼働能力を有していた。昭和六三年度賃金センサス中学卒全年齢平均年収金額は四〇九万六六〇〇円であるから、生活費五〇パーセントを控除し、これに二九歳四か月から六七歳までの就労可能年数約三七年に相当するライプニッツ係数16.7112を乗じる方法で中間利息を控除すると、二郎の逸失利益は次のとおり三四二二万九五五〇円となる。

409万6600円×0.5×16.7112=3422万9550円

(2) 慰謝料一〇〇〇万円

二郎は入院中に同室の患者に殺害されたこと、二郎は近い将来退院が期待されていたこと、被告病院は二郎他の入院患者に対し、精神保険法に反するような違法、不当な処遇を行ってきたことを考慮すれば、右額が相当である。

(二) 原告ら固有の損害

(1) 慰謝料各五〇〇万円

原告らが二郎の療養看護のためあらゆる努力を払い、被告病院に最善の治療を求めてきたこと、被告病院は原告らの求めに対し誠意ある対応を行わず、本件事件後は責任回避のための不誠実な対応に終始したこと、その他の本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、右額が相当である。

(2) 弁護士費用各一五〇万円

本件事案の内容、訴訟行為の難易、本人訴訟の不可能その他の事情を考慮し、原告らは、原告訴訟代理人三名に対し各金五〇万円の支払を合意した。

7  よって、原告らは、被告に対し、不法行為又は診療契約上の債務不履行に基づく損害賠償請求として、それぞれ二八六一万四七七五円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である平成二年一二月一一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告の主張

1被告病院の過失に関する前提事実について

精神分裂病の治療には、①薬物療法や電気ショック療法のような生物学的療法、②病的な内的世界から脱却させるよう働きかける心理療法、③家族の協力と理解を得ながら本人の自立を促進させる家族療法、④社会性を涵養するための社会療法等がある。二郎に対してもこれらの療法により治療を行ってきたが、特に二郎の場合は、社会療法のほか、家族との共生的関係が非常に強かったため、家族から自立して自己を確立させる家族療法に力を入れてきた。このような治療方針に基づいて、主治医を中心に治療、看護に当たっていたが、原告らには理解が得られなかった。原告らが処遇の悪化として主張する点に関する被告の反論は次のとおりである。

(一)  面会及び外泊の制限について

面会と外泊は、精神医療にとって重要な治療的要素を持っている。特に、本例のように家族関係に問題が想定されるときには、格別に重要な意味を持っている。入院生活が長く、人格的にも未発達な部分が多い二郎にとって、精神の成長と自立が特に必要であり、しかも、家族関係によって病状が左右される傾向があったので、面会と外泊は医療的判断によってなされなければならなかった。そのため、面会は週一回に制限し、原告らに協力を何度も求めた。それでも原告らは面会日以外に現れたり、面会の手続を取らずに病院近くのフェンスから窓越しに話しかけることもあった。外泊は、病状に応じて判断されるものであり、病状の不安定な時には中止し、安定している時には隔週で認めていた。この面会と外泊を制限する趣旨は原告らになかなか理解してもらえず、家族面談の時に何度も話題になったり、院長や東京都衛生局へ直訴されるほどであった。

(二)  面会の際の病室への立入り制限について

本件病棟では、面会は面会室等所定の場所で行っている。しかし、この病棟には面会室のなかった時代があり、この時は例外的に病室で面会が行われたことがあった。特に、二郎は、自分の物を他人に触られるのを極端に嫌がる傾向があったので、原告らは病室に入ったことがあると推測されるが、丙田医師が特別に厳しく制限したことはない。

(三)  隔離室にいる間の面会制限

二郎を隔離室に収容せざるをえなかったのは、平成元年七月一日に理由もなくⅠ患者に殴りかかり、隔離室に収容した後も興奮状態が持続したためである。

隔離室収容中は、精神的な安定を守るため、面会は謝絶している。

(四)  電話の取次ぎへの難色及び電話の応対の拒否について

回診や治療中で都合が悪いときは、理由を告げて後で電話してもらうようにしており、また、電話の応対を拒否したような事実もない。

(五)  主治医との面談の制限について

二郎の治療には家族調整が大切なので、月一回一時間の家族面接を行った。本件のような長期入院の精神分裂病の場合は、主治医の月一回の家族面接は決して少ない回数とはいえない。さらに、臨時の面接が必要な場合には、その都度面接を実施しており、丙田医師が主治医となった平成元年六月から二郎が死亡した平成二年二月二三日までの間の九か月の間に一四回の家族面接を行っている。

(六)  看護職員の巡回の過怠について

原告らが主張するような事実はない。

(七)  看護職員の面談拒否及び二郎の注視過怠について

原告ら主張のような事実はない。

(八)  丙田医師担当後の体力の低下について

丙田医師の医療行為によって二郎の体重ないし体力が著しく低下したという事実はない。平成元年七月から八月初めにかけて食事の摂取が不良となり、体力が低下したときも、内科医に依頼して適切な処置を行った。

(九)  二郎の肩関節脱臼に対する適切な処置の過怠について

昭和六三年六月二〇日に生じた二郎の反復性右肩関節脱臼については、丙田医師も前の担当医に引き続いて、被告病院内の整形外科の治療を継続していた。

2 過失ないし債務不履行責任及び損害についての原告らの主張は、いずれも争う。

四  争点

1  被告病院の過失に関する原告ら主張の前提事実の存否

2  二郎の死亡について被告病院に原告ら主張の過失があったかどうか。

3  原告らに生じた損害の額

第三  争点に対する判断

一  被告病院の過失に関する原告ら主張の前提事実の存否

1  原告らは、二郎の主治医が丙田医師となった平成元年六月一日以降、同医師を始めとする被告病院の医師及び看護者が原告らの申入れを無視し、入院者との対話及び症状観察を十分に行わず、独善的な態度を取るなどの処遇の悪化が顕著となり、原告らの再三にわたる処遇改善の申入れに対しても、治療内容の正当性を一方的に主張するのみで、何ら改善策を講じず、その結果として本件事件が発生したと主張する。

ところで、原告らが丙田医師に主治医が代わって以降の被告病院の処遇の悪化として主張する具体的事実のうち、被告が認める事実は、二郎が平成元年七月一日から八月七日までの間隔離室に収容されたこと、隔離室収容中は面会を謝絶していること、主治医との面談が原則として一か月に一回約一時間であったこと、二郎の死亡時の体重が四〇キログラムであったことのみであり、一方、右争いがない事実以外の原告らの主張事実については、カルテ・看護記録の記載その他の客観的証拠はなく、原告らが本人尋問においてそのような事実があった旨の供述をするのみである。したがって、原告ら本人の右供述が信用できるかどうかを含め、原告ら主張の事実の存否について、慎重な吟味が必要となる。

2  そこで、以下、原告らの主張に沿って、各主張事実の存否について順次検討する。

(一) 面会及び外泊の制限について

原告らは、丙田医師が主治医となって以降、被告病院が原告らと二郎の面会及び外泊を一か月に一回に制限したと主張するが、原告ら本人尋問においても、右主張に沿う供述はない。

甲第七号証及び原告ら本人尋問の結果によれば、原告らは、二郎が被告病院に入院する以前に入院していたE病院においては制限なく面会ができたこと、被告病院においても、丙田医師が主治医になる前は、週一、二回、二時間くらい自由に面会できたのに、丙田医師が主治医になって以後は週一回三〇分と面会の回数及び時間を制限されたこと、並びにこのことが不満である旨を述べる。

しかし、証人丙田の証言によれば、丙田医師は、前主治医の引継事項を含むカルテの記載から、二郎の精神分裂病は本人が一五歳のころに原告一郎が一歳半になる異母弟を家に連れてきて原告花子に育てさせたことがきっかけとなって、拒食及び粗暴な行動に引き続いて発病していること、二郎の病状は被告病院で入院生活を送るようになってからも一進一退が続き、病状が軽快して自宅での外泊が行われるようになっても、外泊が繰り返されたり、外泊が長引いたりすると、悪化していること等を認識し、二郎の精神分裂病(破瓜型)の治療のためには家族関係の調整が特に重要であると考え、その具体策の一つとして、面会の回数及び時間を制限することとしたことが認められ、丙田医師の右認識は、乙第一号証のカルテの記載とも矛盾しないことが認められ、また、例えば乙第二号証の看護記録の二八頁には、丙田医師が主治医になる直前である平成元年四月一七日、二郎が自宅での外泊中に精神的に不安定な状態となり暴力行為に及んだことが記録されており、丙田医師の右認識に沿うものとなっている。なお、乙第一号証の二一頁によれば、平成元年六月二二日、原告一郎自身も医師に対し、「家内が面会に来た時には、そのあとが良くないらしい。」と述べており、また、七二及び七三頁によれば、同年一一月三〇日には、同原告が医師に対し、「家へ帰って弟と喧嘩になったら大変だ。」「両親だけでは血みどろになって本人に怨みを残すから。」とも述べていることが認められる。

このような状況の下において、丙田医師が二郎の治療のために家族関係の調整が必要であると考えたことは、医師の裁量の範囲に属する判断であり、非難される点がない。

外泊については、証人丙田の証言によれば、前記のような家族関係の調整の必要から、平成元年末までは許可しなかったが、平成二年の正月には許可し、その後、丙田医師の意見は消極であったものの、二郎と原告らの要望により、隔週に外泊することとなったことが認められる。外泊の制限についても、被告病院の治療行為としての裁量の範囲を逸脱した事実は認められない。

原告花子は、甲第七号証の陳述書六頁において、「昭和六三年一一月一四日の診療記録には、長期外泊の感想を堀田医師に聞かれて、家が楽しかったと二郎が話したとの記載がある」との事実を摘示して、二郎の病状にとって外泊は問題なかったことを述べようとしているが、被告病院が問題とする外泊による病状の悪化とは、外泊を楽しく感じるかどうかというような二郎の感情の問題ではなく、外泊後の精神的安定度ないし暴力的性向の発生の有無を言っているのであり、原告花子の右認識は被告病院の認識と噛み合っていない。

(二) 面会の際の病室への立入り制限について

原告らは、面接の際に二郎の病室への入室が許されず、同人の日常生活を把握できなくなった旨主張する。しかし、精神病院内の主として精神症状の顕著な患者及び他施設において処遇困難として転院を依頼された者を収容している閉鎖病棟において、入院患者と家族との面接をどの場所でさせるかは、当該病院の管理上の裁量に委ねられている事項である。原告らの主張は理由がない。

(三) 隔離室にいる間の面会制限について

二郎が平成元年七月一日から同年八月七日まで隔離室に収容されたこと及び隔離室収容中は面会を謝絶していることは当事者間に争いがない。原告らは、二郎を右のとおり隔離室に収容したこと自体、正当な理由がないと主張するが、乙第一号証に記載された二郎の暴力行為及び精神状態並びに乙第一号証及び証人丙田の証言によって認められる右収容期間中の二郎の興奮状態及び暴力的性向に照らせば、被告病院が二郎を右の期間中隔離室に収容したことは、病院としての裁量の範囲内の措置であると認められる。また、原告らは、被告病院が二郎を隔離室に収容している間、面会を認めなかったことが不当であると主張するが、右主張は、精神病院における隔離室収容の意味を理解していない主張というほかない。

原告らはその本人尋問において、二郎が理由もなく暴力を振るう状態にあったことを否定するが、二郎に暴力的性向が強く、治療の結果若干改善されたかに見えても、何らかのきっかけによりその性向が再発することが何度となく繰り返されていることは、乙第一号証のカルテ、乙第二号証の看護記録等により明らかであるとともに、昭和三四年生まれの二郎が、昭和五一年六月以来本件事件により死亡するまでの一三年間、継続して精神病院に入院し、昭和五七年二月から八年間は、国内で最も重篤な精神病患者を収容している病院である被告病院の主として処遇困難者を収容する本件病棟に入院し、そのことを原告らも承認していた事実からも明らかである。このような明らかな事実を明瞭に否定する原告両名の供述姿勢は、極めて特異なものであり、このような原告らの供述態度は、当事者間で対立する事実関係に関する原告らの供述の信用性を著しく減殺するものであるといわざるをえない。

(四) 電話の取次ぎへの難色及び電話の応対の拒否について

原告らは、被告病院が原告らの二郎への電話の取次ぎに難色を示すようになり、また、電話への応対を拒まれることも多くなった旨主張する。

しかし、原告らの右主張は、単に原告らの独自の見解に基づく主張にすぎないことは、原告一郎の本人尋問の結果自体から明らかである。原告らの右主張も理由がない。

(五) 主治医との面談の制限について

主治医である丙田医師と原告らとの面談が原則として一か月に一回、一時間であったことは当事者間に争いがない。原告らは、右面談回数が少ないと主張する。

ところで、原告花子の本人尋問の結果によれば、同原告がそのように主張するのは、二郎との面会の制限を撤回してもらいたいとの要望を主治医に伝えたいのに会ってもらえなかったことが不満であったという趣旨に理解できる。しかし、前記のとおり、丙田医師は二郎の治療のために原告らとの面会制限が必要であると考えており、医学的に見て、その治療方針は医師の裁量の範囲内にあると認められるものであるにもかかわらず、原告花子の本人尋問の結果によれば、原告らは丙田医師のいう趣旨を全く理解しようとせず、面会制限の不当性を訴えるのみであったのであるから、面談の回数が増えても、実りのある話合いができたとは到底考えられない。原告花子の面談に対する不満は、被告病院において面談回数を増やすことによって解消される性質のものではなく、丙田医師の面談回数が不適切であることの理由にはならない。

原告一郎は、その本人尋問において、E病院の医師は面会に行く都度、制限なしに詳しく症状などを話してくれ、被告病院の他の医師との関係も概ね良好だったが、丙田医師のみは、右のとおり面談を制限した旨供述する。しかし、前記(一)認定のとおり、丙田医師は二郎の治療のために原告らとの面会制限が必要であると考えており、医学的に見て、その治療方針も医師の裁量の範囲内にあると認められるものであったこと、にもかかわらず原告らは自由な面会を求めて譲らなかったことが認められ、丙田医師が一か月に一回原告らと面談している以上、右のように医師の裁量の範囲内の事項につき反対の見解を持つ患者の両親と同医師がそれ以上どの程度面談するかは、同医師の裁量に委ねられているものというべきである。

(六) 看護職員の巡回の過怠について

原告らは、丙田医師が主治医となった以降、被告病院の看護職員が病棟を頻繁に巡回することがなくなった旨及びテレビに見入って原告らに応対しないということが何度もあった旨主張する。原告らの右主張は、それ自体具体性に乏しい上、原告らの供述は前記(三)認定のとおり信用性に欠ける部分が余りに多く、右主張に沿う原告らの供述部分も信用できない。

(七) 看護職員の面談拒否及び二郎の注視過怠について

原告らは、丙田医師が主治医となってから、看護の職員が原告らとの面談を拒み、二郎の動静に注意を欠くようになった旨主張する。

しかし、原告ら本人尋問において原告らがそのように述べ、被告病院のカルテ中にも、原告一郎がそのように述べた旨の記載はあるが、原告らの供述の内容は前記のとおり容易に信用できず、他に右主張事実を裏付ける証拠はない。

のみならず、原告らは、その本人尋問において、丙田医師が主治医となる前は被告病院の態勢に特に問題はなかった旨述べているものの、乙第一〇号証の三頁によれば、二郎の両親が被告病院に対し、昭和六三年三月二四日、「病棟の対応が冷たくなっている。以前のドクター、看護長は良かった。」との苦情を述べたことが認められ、また、乙第一号証の二九頁によれば、平成元年七月六日、両親がこれまでの病院等の苦情を被告病院医師に述べたことが認められ、原告らは、これまでいろいろな場面で病院の扱いに対する苦情を述べてきているものであることが認められ、このような原告らの言動を見れば、丙田医師が主治医となってからの被告病院の看護職員に対する苦情も、信用性に欠けるものといわなければならない。

(八) 丙田医師担当後の二郎の体力の低下について

原告らは、二郎が死亡時に四〇キログラムという体重になったのは、丙田医師の「医療行為」の結果であり、二郎の体力は丙田医師担当後著しく低下した旨主張する。

しかし、二郎が死亡時に体重四〇キログラムであったことは当事者間に争いがないものの、そのように体力が低下したのが丙田医師の医療行為の結果であることを裏付ける証拠はなく、かえって、乙第二号証によれば、二郎の体重は、丙田医師が主治医になる前である平成元年三月時点で、既に44.5キログラムになっていたことが認められる。もっとも、原告一郎は、その本人尋問において、右主張に沿う供述をしているが、繰り返し述べたとおり、同原告の供述は信用できない。

(九) 二郎の右肩関節脱臼に対する適切な処置の過怠について

原告らは、丙田医師が主治医になってから、二郎の右肩関節の脱臼に対する適切な処置を怠るようになった旨主張する。

しかし、右主張も、前記の多くの主張と同じく、原告ら本人の供述以外に客観的な裏付けがなく、原告ら本人の供述は信用できない。

3  以上のとおり、原告らの右主張事実のうち、被告が認める事実以外の事実は、いずれもその存在を認めることができない。

したがって、被告病院の過失の前提として原告らが主張する事実、すなわち、二郎の主治医が丙田医師に代わって以降被告病院の処遇が悪化し、原告らの再三にわたる処遇改善の申入れも無視されたとする原告らの主張事実は、いずれも認めることができないものといわなければならない。

二  被告病院の過失について

1  事件発生時ないし事件発生直後に本件事件を発見しなかった過失

(一) 本件事件発生時に発見しなかった過失

証人丙田及び同相田の証言によれば、本件病棟は三交代勤務制をとっており、日勤者は午前八時三〇分から午後四時四五分まで、準夜勤者は午後四時から午後一一時四五分まで、深夜勤者は午後一一時から午前九時まで勤務すること、巡回は日勤帯については、各患者に対する看護業務と並行して随時行っており、準夜勤及び深夜勤の場合、隔離室は三〇分毎、一般室は一時間毎に巡回を行うこと、深夜勤務者は日勤者へ引き継ぐ際、午前八時三〇分から九時までの間に患者の状態や訴え、行動に関する情報を申し送りし、その申し送りの後は引き続きミーティングが行われること、申し送り及びミーティングは、医師及び看護士全員が参加して行われること、申し送りの際は、夜勤者のうちの一名が巡回に当たるが、ミーティングは日勤者が全員参加して行われ、巡回者は置かないこと、平成二年二月二三日のミーティングは午前九時から九時一五分ころまで行われたことが認められる。

原告らは、被告病院がミーティング中に巡回者を置かなかったこと自体が過失であると主張する。

しかし、被告病院の夜勤時の巡回は三〇分ないし一時間毎に行われており、それが特に問題でないことから明らかなとおり、被告病院においても、巡回が二四時間、間断なく行われている必要はなく、本件事件当日の一五分間のミーティング中に巡回者を置かなかったことをもって被告病院に過失があるとはいえない。

次に、原告らは、本件事件のために相当な物音がしたのに、被告病院の日勤者は全員ミーティング中でこれに気付かず、又は大したことがないと速断した過失があると主張する。全員参加のミーティングを行う場合において、ミーティング中に相当な物音が生じたようなときは、直ちに適切な対処をすべきことは当然である。そこで、ミーティング中に物音等から本件事件を察知できたか否かの点を検討する。原告ら本人尋問の結果中には、二、三名の患者が本件加害行為に際し物音を聞いた旨の供述がある。しかし、右供述は伝聞である上、原告ら本人の供述には、既に述べたとおり信用できない部分があまりに多く、右供述部分も当裁判所の信用できるところではない。

他方、証人乙川は、午前九時一〇分ころ、二郎が「乙川さん、なんとかだな。」と言って笑ったので、「なんだ。」と聞き返したら、三、四回殴ってきたので、三、四回殴り返したところ、二郎はベッドのパイプに首が挟まって動けなくなり、乙川は面倒くさくなって殺そうと思い、首を絞め、口の中にティッシュを詰め込んだと証言しており、甲第二号証によれば二郎が頸部を短時間圧迫等され意識障害に陥った状態の時にティッシュペーパーを多量に口腔内に挿入された事実が認められ、右事実に照らせば、証人乙川の証言は、一般的には、その病状から、供述の信用性を慎重に判断すべきであるが、右供述は信用して差し支えない。また、検証の結果並びに証人丙田及び同相田の証言によれば、本件加害行為現場の四〇二号室入口からミーティングの行われていた看護室入口まで13.72メートル離れていること、ミーティング中は患者のプライバシー保護のため看護室のドアを閉めていたこと、本件加害行為当日のミーティング中、ホールで数名の患者がテレビを見ていたこと、ホールで小声で話す患者の声は看護室から聞こえないことが認められる。従って、右事実関係のもとでは、本件事件発生時にミーティング中の看護室にまで聞こえる物音がしたことを認めるに足りる証拠はないものというべきであり、原告らの主張は理由がない。

(二) 本件事件直後に発見しなかった過失

乙第一、第二及び第五号証並びに証人丙田、同中谷、同相田及び同藤井の証言によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 二郎は本件事件当時、病状がある程度軽快し、近日中にD―42病棟に転棟することが予定されていたこと、本件事件発生の具体的危険をうかがわせる事情は二郎にも乙川にも特に存しなかったこと、石塚看護士が、午前九時三〇分ころ、ホールを開放したところ乙川を含む三名の患者が出てきたが、乙川は平常と変わらぬ様子であったこと、二郎は病状の安定しているときは二週間に一回外泊し、デイケアにも自発的に一人で行っていたこと

(2) 本件病棟は処遇困難者及び急性期の新入院患者を対象とした混合病棟であるため、治療及び看護が非常に難しく、患者の病状の変化に対応した臨機応変な治療看護体制をとる必要があること、本件病棟の急性期入院患者の回転は非常に早いことから、受持ち看護制は適当でなく、各看護者が機能毎に役割を分担していたこと、本件病棟の日勤帯は看護者が病棟内を頻繁に行き来するので、巡回当番を設けず、各自が病室の動向に留意することにしていたこと、本件事件当日、新入院患者が二名いたこと及び情動不穏患者が多かったことから被告病院は保護室を中心に看護を行ったこと、当日は週二回の入浴日でもあったこと

(3) 二郎の本件事件当日午前中の予定は、採血・レントゲン検査・入浴であったこと、検査の順番は特に決めておらず、採血は検体提出時間である午前一一時までに、レントゲンはレントゲン室からの呼び出しがあった時に、入浴は午前一一時三〇分までに行えばよかったこと、採血担当の藤井看護士は、ミーティング終了後、丙田医師らと保護室の回診を行い、興奮したり処置を拒絶したりする患者を抑制して採血や注射の介助を行い、午前九時四〇分ころ、看護室に戻ったこと、一般室採血予定者二名の内、一名は入浴係の丁山看護士が藤井看護士の保護室回診中に代わって採血したこと、加藤看護士が、午前九時五〇分ころ、二郎が来たら採血に戻るよう、デイケアに電話連絡したこと、藤井看護士は看護室に戻ると一〇時過ぎころまでホールで検温を行ったこと、午前一〇時一〇分から午前一〇時三〇分まで入浴の応援にいったこと、午前九時二〇分ころ、採血のため四〇五号室に行った丁山看護士が本件加害行為現場の四〇二号室の前を通ったが、特に異常を認めなかったこと、午前一〇時一〇分ころ、戊沢看護士が四〇四号室へベッド・メーキングに行き、四〇二号室の前を通ったが、特に異常を認めなかったこと

(4) ミーティング終了後の被告病院職員の動態について、丙田医師及び中谷医師は保護室、特に重症者及び新入院患者(非常に興奮が強い患者、意識障害のある患者及びアルコール依存症で精神状態が不安定な患者の合計三名)を重点的に回診し、午前九時四五分から看護室で治療・処置の指示、カルテの記載を行ったこと、相田看護長は保護室で患者に話しかけを行い、午前九時三五分ころから患者対応・電話対応及び書類整理・チェックを行ったこと、小野田看護士(リーダー)は、丙田医師らの病棟回診に同行し、午前九時四五分ころからは看護室で治療・処置の指示を受けるとともに患者に対応し、看護記録を記載していたこと、藤井看護士(採血を含む処置係)は丙田医師らの病棟回診に同行し、午前九時四〇分ころ看護室に戻り、採血整理及び検温チェックを行い、午前一〇時一〇分ころから応援依頼を受けて入浴係を応援したこと、戊沢看護士(服薬係)は昼薬配薬準備、前日の入退院記録及び病棟報告書整理を行い、午前九時五〇分ころ看護科へ病棟報告書の記録追加のため出棟し、午前一〇時五分ころ帰棟し、看護室で電話応対した後、藤井看護士の応援で保護室の患者の検温を行ったこと、午前一〇時一〇分ころ、一般室の患者の転室を説得し、四〇四号室のベッド・メーキングをした後、午前一〇時二〇分ころ、看護室に戻ったこと、加藤看護士(リーダー・処置補助)は丙田医師らの病棟回診を介助し、午前九時三〇分ころ、検体を検査科提出のため出棟し、午前九時五〇分ころ看護室に帰棟し、電話・患者対応を行い、午前一〇時一〇分ころから応援依頼を受けて入浴係を応援したこと、石塚看護士(外回り)は丙田医師らの病棟回診を介助し、午前九時三〇分ころホールの鍵開けを行い、看護長の指示で四〇一号室で至急で転棟サマリーを作成したこと、丁山看護士(入浴係)は、午前九時二〇分ころ、採血のために四〇二号室前を通過し、午前九時二五分ころから入浴を準備し、保護室患者から順次入浴させ、午前一〇時一〇分ころ、入浴拒否患者の脱衣・入浴介助のため応援を要請したこと次に、乙第五号証及び第一一号証、検証の結果並びに証人乙川、同奥山、同相田及び同中谷の証言によれば、本件事件に係る加害行為に要した時間は数分であること、気道が閉塞した場合、二分から五分で呼吸が停止し、更に三分から九分で心停止に至るのであって、三ないし五分以内の窒息であれば救命可能性があること、四〇二号室の入院患者阿部が、午前一〇時一八分ころ、二郎の様子がおかしいと看護室に連絡したこと、二郎の倒れていたベッドは四〇二号室の窓側にあり、廊下側のベッドの方が背が高かったこと、廊下側のベッドの二郎側の柵に毛布か掛け布団が掛かっていたこと、相田は病室入口の所から室内を見て二郎がいないものと思い、「いないよ。」と阿部に声をかけたこと、乙川が二郎の体に布団をかけて、二郎の体は完全に布団の中に入っていたこと(もっとも、この点に関し、証人乙川は膝から下は布団からはみ出していた旨証言するが、証人奥山、同相田及び同丙田の証言に照らし、右証言部分は容易に信用できない。)、本件病棟は薬を多量に飲んでいる患者が多く、体を休めるために日中寝ている患者もかなり多いことが認められる。

以上の認定事実を前提に考えると、本件事件当時、二郎はある程度病状が軽快し安定しており、被告病院が看視する等して四六時中二郎の動態を把握する必要性があったとはいえなかったものである。また、本件病棟は処遇困難患者と急性期の新入院患者との混合病棟であり、個々の患者の日々の病状に応じた対処をする必要性が高く、看護も決められたスケジュールに則って行うよりは看護の緊急度、優先度に応じて臨機応変に行った方が望ましいとの判断から、本件事件当日、被告病院職員は各患者の容態に照らして緊急度の高い患者の看護を優先して職務を遂行したものである。さらに、本件事件に係る加害行為は午前九時から九時一五分ころまでの間の数分で行われ、その後約五分で救命が困難な状態に陥るものである上、加害者である乙川は二郎を発見できないよう隠蔽工作を施している。

以上のような当日の看護現場の状況及び隠蔽工作の状況からすると、被告病院がより早期に二郎を発見して救命措置を講じなかった点について、被告病院の態勢ないし措置に過失があったということはできない。

(三) 長時間にわたり二郎の動静を把握しなかった過失

原告らは、被告病院が本件事件当日、午前七時四〇分から午前一〇時一八分までの間、二郎の動静を把握していなかった過失がある旨主張するが、前記(二)認定の事実によれば、被告病院の当日の二郎に対する把握の状況について、原告ら主張のような過失があるものとは認められない。

2  予見可能であった本件事件を予見することなく、その防止策を講じなかった過失

本件病棟は処遇困難を来す患者を多く収容しており、乙川が本件事件の前に二回の殺人歴を有するものであることは原告ら主張のとおりであるが、二郎に対する被告病院の治療及び看護の態勢及び状況が前記一及び二の1認定のとおりである本件においては、原告らが主張するように、被告病院が本件事件の発生を予見でき、それを防止できたのにこれを怠ったものということはできない。原告らの主張は、当裁判所において認めることができない事実を前提とするものであり、失当である。

3  二郎に対する保護、看護の過怠による過失

原告らは、被告病院の不適切な医療行為により二郎の体力が低下し、右肩関節脱臼の処遇の過怠も重なって、要保護性と安全配慮が求められる状態にあったのに、被告病院は十分な保護、看護を怠った旨主張する。

しかし、前記一の2の(八)及び(九)認定のとおり、これらの点について被告病院の不適切な医療行為があった事実は認められず、また、前記二の1の(二)認定の事実によれば、被告病院の二郎に対する保護、看護に注意義務違反があったものと認めることもできない。原告らの主張は理由がない。

三  以上のとおり、二郎の死亡について被告病院に過失があったと認めるに足りる証拠はないから、二郎の死亡について被告に不法行為責任はなく、また、診療契約の不履行を構成する債務の不履行もないものといわなければならない。

よって、その余の争点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がないから、棄却することとする。

(裁判長裁判官園尾隆司 裁判官森高重久 裁判官古河謙一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例